中学生時代の自分

 そういえば昨日、音楽好きな研究室の同僚に先日自分が作ったMixMDを聞かせたら、えらい気に入ってくれて、借りていかれた。やっぱ自分のいいと思っている音楽で共感を得られたらうれしいな。
 今日はいつものように滋賀での週末。風邪のシーズン到来で忙しくなってきた。こっちも移されない様に気をつけな。インフルエンザやらノロウイルス感染症やら。
 今日は自分の中学時代の話をしてみよう。この間は湿っぽい話だったので、今回は音楽のみのお話。
 中学から親元を離れ、いわゆる受験の進学校へ入学し、寮生活をすることになった。学校は愛媛県なんだけど、四国だけでなく、九州、中国、近畿地方からたくさんの人間が寮の中にはいた。その中に沖縄からの学生もいた。そのうちの一人がすごく音楽が好きで、沖縄の音楽事情などをよく語ってくれた(紫とか、マリーWithメヂューサとか、琉球音楽なども)。そいつは中学1年のときにすでにYesとかが大好きだった。もともと歌謡曲大好きの自分としてはかなりカルチャーショックだった。
 ちょうど中学一年というと1983年。まさにMTV全盛時代の幕開けである。そしてYMO散開の年である。小学校のころは洋楽といえば、ノーランズ、ビリージョエルとかしか知らなかったのが、一気にムーブメントとして、Overgroundに洋楽がやってきた。その代表がカルチャークラブ、ワム、シンディーローパー、マドンナなどである。みんながこぞって洋楽に手を出していったが、個人的にはやはり歌謡曲畑からは脱却できずに、肩身の狭い思いをしていた(そのかわりINUの「めしくうな」とかも聴いてた)。しかし、そこで僕の心を強く刺激したミュージシャンが登場した。それがPrinceである。
 彼の作り出す音楽世界に深く傾倒していき、そこからルーツを見つけにいった。それがFunkであり、Soulであった。しかし当時お金のなかった自分は十分な音源を仕入れるにはいたらず、レンタルレコードの店員さんに相談しながらJamesBrownやStevieWonderを聴いていた気がする。あまりはっきりとした記憶がないが。まあまだこのころは歌謡曲畑からは脱却してないので。そこで次に僕の心に忍び込んできたアーチストは、友人が紹介してくれたFrankieGoesToHollywoodであった。とりあえずすごいパワーを感じた。
 そこで同時に日本で起こってきたのがインディーズブーム。いわゆるナゴムである。そこからPunk系に突っ走っていくわけである。ちょうど友人にPunk好きがいて、いろいろ教えてもらいながら、そのうちパンクバンドをつくることになった。
 思い出せる範囲ではこんな感じで進んでいった気がする。でもひそかに原田真二とか山下達郎EPOがすきだったり、基本はニューミュージックであった気がする。
 高校に入ってからはまさにぐちゃぐちゃ。なんでも聴いていた気がする。節操もなく。その後の音楽話は次回。